すべての人が、生まれてきて良かったと思える
世界の実現を目指して
ジャパンハートは「すべての人が、生まれてきて良かったと思える世界の実現」に向け、2004年の設立以来、医療の届きづらい東南アジアを中心とした地域で活動を行う日本発祥の国際医療NGOです。海外と国内を移動しながら、年間約37,000件の小児がん手術などの高度医療を含む子どもたちの手術を無償で行うジャパンハートの創設者・𠮷岡さんに、設立に至った背景や活動を続けられる中での思いを伺いました。
𠮷岡さんはどのような背景から医療に携わることを志したのでしょうか?
中学生の頃に、飢餓に苦しむアフリカの子どもたちが連日報道されて「人間というのはわずかな時間と空間のずれでこれほど運命が変わってしまうのか。自分はなんと幸運の星のもとに生まれてきたんだろう」というショックが心の中に残っていました。
時を経て大学受験で一浪中、友人の志望票にあった「医学部」という文字を目にしたときに、ハッとその気持ちを思い出したのです。こんないい時代にこんな安全な場所に生まれて、こんな生き方をしていたらもったいない…まるで雷がとどろくように「人のために役立つ仕事をしたい」という思いに駆られました。そこからの受験勉強には苦労し成績はなかなか伸びませんでしたが、「せめて自分だけは自分を信じよう」という気持ち、そして寝る前には「飢餓や病気に苦しむ子どもたちを助けたいから医学部にするんだ」という自問自答を繰り返し、医学部に合格、人の命を助ける外科医を志望しました。
医師になってからは、どのようなきっかけから海外で活動し、ジャパンハートを設立したのでしょうか。
医師としてのスキルに一定の自信もついた頃、30歳で縁あってミャンマーに行くことになりました。今考えると若くてリスクも見えなかったから思い切って行けたのかもしれません。海外だと例えば紛争地域での医療支援などもありますが、そのような場所では緊急疾患のある人が優先されます。また、自分ではない他の人・団体がすでに医療を届けている現状でした。私自身は貧困地域に医療を届け、子どもの先天性疾患や慢性疾患を助けたいという思いがあり、この場所を選びました。
ミャンマーは当時、国家予算を医療保険にまわせない状況で、家にはミャンマー中から集まってきた人たちが押し寄せ、朝から晩まで診察を毎日続けました。ですが、診察をしてもお金がないことで適切な処置が受けられない状態のまま帰る人が多くいました。その寂しい背中を幾度となく目にする中で、私自身、何もできない状態で患者を家に帰すことがストレスになってきたのです。寝てても夢に出てくるほどで、「今の状況に耐えるか?それともやれることだけやればいいか?」という自問自答を何度も繰り返し、「やれることだけをやっていたら、自分はここで医療を続けられなくなる」という結論に至りました。「やるしかない、やろう」そんな決意が、ジャパンハートのスタートでした。
たくさんの子どもたちを診る中で、これだけは忘れられない、これだけは大事にしたいということは何ですか?
何のために医療をするのか、「命を助けることにとどまらず、その子が生きている優しい記憶を周りの人の中に残す」ということを大事にしています。
例えば、口の中に先天性の癌がある生後すぐの乳児がいました。症状としては残念ながら助かる見込みがない子です。しかしこの子とその家族にも「授乳をした記憶、わが子がおっぱいをたくさん飲んですやすや寝ている姿の記憶」を残したいと思い、授乳ができるように手術をしました。
たくさんの患者さんとその家族を見ていると、弱っていく日々の記憶は家族も忘れてしまうものですが、元気なうちの記憶というのは決して消えることなく家族の中に残り続けていくものなのです。残念ながらこの地域では「また治療に来る」ということがほぼありません。経済的に一度の治療が精一杯なこと、助かる見込みがないことが多いからです。手術をした乳児とその家族にも二度と会えてはいないのですが、きっと家族の記憶の中には、手術後の授乳の光景やその時の感情が残っているのではないでしょうか。
それこそ、ジャパンハートが大事にしている「患者の笑顔やぬくもりが、誰かの記憶に優しく残り続けるための治療」なんですね。
医療とは、患者の人生の質を上げることだと思っています。自分の寿命・命を削って別のものに変える作業、それが自分の人生の質になるし、集めたできごとこそが自分の人生だと思っています。
活動を始めたとき、「今これがしたい」という自分の心に従って決断をしました。「大変ですね」「よくそこまで頑張れますね」と言われることも多いですが、自分の心に従って決めたこと、そして自分の性に合っていることだから今も続いているのです。この世界には正解がないし、自分の正解と人の正解も一緒ではないでしょう。正解ではなく「どう感じるか」が重要で、そこは自由だ、と思っています。「助けたい」と感じる心は僕自身の心であり、僕の自由だから続けているのです。
オルビスは、自分で変えることのできない困難な環境の中にある子どもたちを応援し続けることで、子ども自身の喜ぶ姿や持っている力が発揮できる環境を作っていきたいと考えており、ペンギンリング プロジェクトを立ち上げました。
𠮷岡さんからご覧になって、オルビスのどのような点に共感を持っていただいていますでしょうか?
「美」というのは表面的ではなく心の美にまでつながっていくと思っています。心を美しくしていく企業が、子どもに向けて「誰一人取り残さない」というサステナビリティ推進活動を行っていく、その点に共感します。
「遠い国のこと」と思ったら切れてしまうものですが、自分から心の距離を寄せられるかが大切でしょう。他人の人生と自分の人生がつながっていて、助けることで世の中だけでなく自分の人生までも豊かにしていく、そんな視点をもって一緒に子どもたちを助けていければと思います。
ありがとうございます。
最後に、改めて𠮷岡さんが大事にする考え方や思い描く未来を、ペンギンリング プロジェクトやオルビスのお客様に向けて教えてください。
おそらく、皆さんが想像されているより現場はとても明るい空気に包まれています。意識だけでなく体感として幸せを感じていただけるような場です。もし叶うのならぜひ現地に来て、子どもを抱っこしていただきたいくらいです。
人間の体は、息を吐けば吐くほど吸えるようになっています。そんな自然の摂理と同じように、行動や想いも出せば出すほど戻ってくるものです。giveをし続けることでgivenになる。自分で受け止めきれなかったものは周りにあふれて豊かになり、巡り巡って自分にも返ってくる、そういうシーンをいくつか持っているだけで人生が豊かになると思っています。医療活動を通じて、国、地域、人種、政治、宗教、境遇を問わず、すべての人が平等に医療を受けることができ、 “生まれてきて良かった”と思える世界を実現していきたいです。
オルビスが共感した、ジャパンハートの活動
ミャンマーでたった一人の活動から始まった医療支援は、現在日本、カンボジア、ラオスなどの国々にまで広がり、活動内容も福祉・社会の仕組みを変えること、教育・自立支援、海外医療人材の育成などへ広がっています。その医療支援は、設立時の「貧しい人々に医療を届ける」にとどまらず、「貧しい人々にも高度な医療を届ける」へと進化、さらにこの先は「医療の新しい概念を創り出す」を目指して活動を続けています。
「苦しむ患者(子ども)を助けることだけが医療支援ではない、真の支援とはその周りの人の心や記憶にまで及ぶべき」という考え方のジャパンハート。オルビスはその考え方に共感し、活動を支援する寄付をしてまいります。
𠮷岡 秀人
特定非営利活動法人ジャパンハート 最高顧問/創設者/小児外科医
東北大学特任教授(客員)
1965年大阪生まれ。大分医科大学卒業(現 大分大学医学部) 、大阪、神奈川の救急病院等で勤務。1995年、単身ミャンマーへ渡り医療支援活動を開始。その後一時帰国し、2003年から再びミャンマーで医療支援活動を行う。2004年に国際医療ボランティア団体「ジャパンハート」を設立。海外では医療活動の他、現地医療者の育成、養育施設を運営するほか、国内では、離島・へき地への医療人材支援、小児がんの子どもと家族の旅行に医療者が付き添うプロジェクト、災害時における緊急救援などを行う。現在も年間3分の2を海外の医療活動に充てる。2021年、第69回菊池寛賞受賞。